新刊

『民主』台湾の未来永劫の繁栄を願って

-積極現状維持外交-

「親日国」「民主主義国家」「デジタル大国」が危うい!台湾を敬愛する二人の日本人による「日台絆」の書!

著者 野口 五十六
白石 常介
ジャンル ビジネス
シリーズ エッセイ・ライトエッセイ
出版年月日 2023/10/27
ISBN 9784341088415
判型・ページ数 4-6・186ページ
定価 本体1,300円+税

はじめに

 私と台湾との出会いは、1966年2月28日、中華民国55年になります。18歳、大学1年の春休みでした。
 黒い学生服に大学帽をかぶり、7日間小さな貨物旅客船に乗っての海外旅行でした。
 大揺れに揺れた高波も基隆港に近づく頃に静まり、甲板から朝霧の波間に浮かぶ緑したたる麗しの台湾島を眺めた瞬間に、「あ〜来てよかった!」と、すっかり一目惚れでした。
 台湾各地で見知らぬ人々の心温まるやさしさにふれながら周遊観光を楽しんだあと、知人の紹介で国立政治大学政治研究所の宿舎で3週間を過ごしました。そしてキャンパスの中庭に立ち、「4年後にここに留学するぞ」と、心に誓いました。私のその後の人生を決める決断でした。
 もともと私は政治への関心が高く、大アジア主義に心酔していました。とりわけ中国に非常に強い問題意識を抱いていました。私が学生だった頃の中国は文化大革命の時代でした。
 台湾留学時に出会った方とのご縁で、ビジネスの世界に進みましたが、そうでなければ政治家の秘書になっていたか、大学で中国語を教える職に就いていたのではないか、と思うほどです。
 そんな私が台湾留学を決めたのは、当時、奨学生として中国語を学べる国が限られていたためでした。
 当時はまだ1949年に発令された戦時戒厳令のさなかで、「反攻大陸」、「勿忘在宫」(臥薪嘗胆)のスローガンがあちこちに掲げられていました。街通りは自転車とオートバイが多く、客を乗せた三輪車も走っていました。

 かくして私は1970年11月に台湾に渡り、国立政治大学東亜研究所の修士課程にて奨学金留学生となりました。
 今だから語れますが、政治色の強い中共研究所だったことから、そこでの暮らしには独特の緊張感がありました。施設そのものの立地が街中から離れた山中であり、ゲートには門番が常駐していました。
 生活の拠点は寮でしたが、そこにも監視とおぼしき者がいました。同僚と宿舎で話してしるとしばしばドアの外に人の気配を感じ、誰が聞き耳を立てているのかとドアを開ける と、バタバタと足音が逃げていきました。

 そんな施設で私が出会ったのが李登輝老師でした。
 1971年10月に老師は国民党に入党していまして、翌1972年に東亜研究所で「東南アシア経済」の授業を担当しました。ただ、ワンセミスタ- (1学期のみ)だったので、どの「李登輝関連年表」にも記載されていません。
 記載されていない空白時の李登輝老師は、単なる一教授でしたが、それだけに尊い出会いでした。授業で教わったのはウォルト・ロストウの経済発展のテイクオフ説で、その後李登輝の人生を預言する理論的基礎をなすものでした。
 授業が終わると教室の廊下で、やさしい目で「私の授業、わかりましたか?」と、声をかけてくれ補習をしてくれました。そのうえ「家に食事に来なさい」と、師母の手料理をふるまっていただいたりもしました。李登輝老師は「精神は武士道、信仰はキリスト教」というのが、私の感じた老師の有り様です。
 当時、日本人留学生で師母の手料理をいただいたのは私くらいではないか、と自負しています。老師とその履歴のわずかな空白時にお会いできたことは、私の生涯の光栄です。私にとりましては、いまもなお「李総統」ではなく「李老師」なのです。
 卒業後、私は長いアメリカ生活が始まり、老師とは手紙だけのやりとりとなり、あとは老師が出版された著書を熟読するだけになりました。
 アメリカ行きに先立ち武見敬三参議院議員(当時慶応大学の台湾研究大学院生)を、李登輝老師に紹介し、彼に後を託して私はビジネス界に入りました。
 武見氏との交流は台湾問題研究の同志としてかれこれ50年になり、金門島をはじめ台湾訪問時にはいつも同伴していました。今回も著者での対談を気持ちよく引き受けてくださいました。
 1992年3月23日に、武見敬三参議院議員と台湾総統府に表敬訪問をしました。老師に「会話は英語か日本語か中国語か?」と切り出され、結局は日本語で会談させてもらいました。1時間の訪問予定が長々と延びてしまい、こちらが緊張する始末でした。
 握手をする際に向けられた老師の鋭い目に、すっかり政治家になられたなとの印象を受けました。それでもうちに秘めたる偉大なる「愛」はそのままでした。李登輝老師の存在を一言で表せば「愛」となります。
 私が李登輝老師に宛てた最後の手紙では、近況報告かたがた、帰国後は日本と台湾のために役に立つ活動を自分の責務にしたい、と結びました。

 幸いなことに帰国早々、群馬県の同郷ということで、台湾に30年間居住し、「勤業会計師事務所(アーサーアンダーセン)」および「勤業衆信聯合会計師事務所(デロイト・トーシュ・トーマツ)に勤務して帰国した白石常介氏と出会いました。
 彼と台湾の未来社会について私見を交わすうちに意気投合し、台湾と縁の深い群馬県人の共著で、「民主台湾の未来永劫の繁栄を願って」をテ-マにして書いてみようということになりました。
 本著書が民主台湾への応援歌になれば幸いです。

          野口五十六

おわりに

 私は1991年7月1日付けで当時のアーサーアンダーセン会計事務所の東京事務所より同系列の台湾の勤業会計師事務所(台北事務所)に赴任しました。
 当時の台北事務所には日商組(日本企業担当グループ)があり、日系企業に各種サービスを提供していましたが、クライアント(顧客)が増えたため日本人駐在員が一人では対応できず交代要員として二人必要になりました。そこで台湾事務所の日商組のトップが東京事務所を訪れ、東京でお会いしました。
 その翌日、東京事務所の担当者より「白石君、台北事務所に行ってくれるかい」との依頼を受け、台湾とご縁ができました。
 当時の日本は中共を見据えていたため台湾のニュースなどはまず入ってくることはありませんでした。異動を知った友人も「おめでとう。タイに駐在が決まったんだって」と言ったほど、台湾という名前にピンとくるものはなかったようです。
 今では一人当たりGDPが日本とほぼ肩を並べていますが、1991年当時の台湾はまだまだ発展途上であり、いろいろなことが当たり前のように起こりました。
 タクシーに乗ると床にポコッと穴が開いていたり、事務所でお茶(ウーロン茶)を飲もうとカップの中をのぞくと、そこにゴキブリが飛び込み自殺していたり。しかし、当時はウーロン茶を飲めるのはまだましな方で、大半の人は白湯でした。コーヒーなどは高級ホテルに行かなければまず飲めませんでした。しかもとんでもなく高い!
 その時感じたことは「これは大変なところに来てしまったな」ではなく、「これは自分で何でもできるやりがいのあるところに来たな」でした。
 その際に、台湾はこれから急速に発展していく楽しそうな和気あいあいとした民主主義国家となり、経済もますます発展していくであろう感覚を、肌ではっきりと感じ取ることができました。

 ご存じのとおり、台湾以上に親日的な国はありません。
 また政府から監視されたり抑圧されたりして恐怖を感じることなどまったくなく、夜中に一人で出歩いても基本的には安全です。
 怖いのはあまりに親密になり過ぎ、度を超してしまうことの方でしようか。でもそのくらい台湾ではまだまだ人情味があるのです。

 台湾ビジネスで一番記憶に残っているのは、当時の台湾新幹線プロジェクトでした。
 当初は欧州連合が契約したのですが、1999年9月21日に発生した台湾大地震などが原因で風向きが変わりました。日本方式は地震防御策が十分であることなどにより日本連合が盛り返し、結果として日本連合に変更されたのです。
 しかし純粋な日本方式ではなく、欧州システムと日本システムが混在したこともあり、竣工までに大変な苦労があったようです。
 当時は会計事務所(監査法人)に勤務していましたので、複数社の会計・税務をお手伝いしましたが、日本本社はもちろんのこと台湾拠点でも、規則通りの対応をすることにより、民主主義然としたしっかりした数値を提供することができました。
 早期退職後は、今まで台湾の方々に大変お世話になりましたので、何か日台の架け橋的なお手伝いができればと思い、台北市日本工商会が台湾政府に毎年提出する白書の初代編集長を数年務めました。
 その際には台湾政府関係者とも打ち合わせをしましたが、常に監視されているどこかの国とは異なり、言葉を慎重に選ぶことなく思ったことを自由に討論することができました。また、彼ら彼女らはとにかく腰が低く、同じ目線で話を聞いてくれます。民主主義を謳歌する 理由の一端端を垣間見た気がしました。

 台湾ではいろいろと勉強し楽しい体験をたくさんさせてもらいました。
 麗しの国、台湾・・・・・日本人にとり仕事も含めてこんなに安心して生活できる親しみやすい国は他にありません。
 またどんなことが起ころうとも、どんなに辛い思いをしても、臆することなく勇敢に立ち向かう若者たちの台湾を愛する熱い思いに、大いに感動させられました。
 同時に、この台湾という国は、将来を背負うこのような若者たちに支えられた素晴らしい国になつていくことを確信しました。

 その台湾に30年居住し、人生において最も脂が乗る時期に台湾の方々と苦楽をともにできたことは、望外の幸せでした。
 日本語による初めての「台湾への投資・会計・税務」関連の専門書も執筆することができ (合計5冊)、充実した人生を送ることができました。
 また台湾の方々には、公私ともに大変お世話になりました。

 その台湾は今まさに、中共からの威嚇を受け大変な脅威にさらされています。
 しかし自由と人権を尊重する民主主義政権の代表の一つである台湾は、自由主義諸国などの同盟的国家に守られ、これからもさらなる繁栄を続けていくことでしょう。

 <後略>

        白石常介

<著者略歴>

野口五十六 (のぐち いそろく)

1948年群馬県生まれ、二松学舎大学中国語課卒業後、中華民国(台湾)へ留学。
中華民国国立政治大学東亜研究所、修士課程修了。1975年にアメリカで台湾電卓の商事会社を創業。台湾のパイオニアとして初の世界ブランド“Aurora"を創建。


白石常介 (しらいし じょうすけ)著

1956年群馬県生まれ、慶應義塾大学卒業、1991年台湾の勤業会計師事務所赴任(アーサーアンダーセン台湾事務所、現“勤業衆信聯合会計師事務所”デロイトトウシュトーマツ加盟事務所)。2012年白石国際顧問股份有限公司董事長兼総経理就。

はじめに

第1章 中共の野望と対峙してきた台湾の永遠存続を願って

国旗の不思議な球体的配列
インド太平洋文明ルネサンスへいざなう
多民族の和合がもたらす永遠存在台湾
学生運動を経て民主化 民主台湾の建国神話
憲法改正で総統・副総統は台湾住民によって選出
武漢コロナウイルス対策で中共と明暗
積極現状維持外交

第2章 鼎談編
岐路に立つ日本と台湾、大陸の関係
-青年時代に思いをはせて「李登輝老師」を語る—
ゲスト:武見敬三參議院讓員
野口五十六 白石常介(2023年8月29日収録)

♦野口の紹介で教員時代の李登輝先生と交流
♦大陸には毛沢東 植民地文化が残っていた台湾
♦李登輝総統を育てた蒋経国の慧眼
♦分断国家のウォッチから日本、台湾、大陸の研究に
♦日本の国益と台湾の選挙
♦中国の王朝、在外勢力に翻弄されてきた台湾
♦共産党から国民党へ 深く思索する中共政治の研究者
♦究極のリアリスト 習近平の野望はどこに?
♦毛沢東にならうか?「第二次台湾海峡危機」と似ている今
♦「台湾は戦う覚悟を」麻生発言が意昧すること
♦中国を睨んで作った海洋法の意義
♦停滞する日本を尻目に台湾経済はなぜ伸び続ける?
♦日本・台湾の若者へのアドバイス

第3章 台湾の魅力

一. 地政学上の魅力
二. 民主主義国家
三. 世界を先導するTSMC率いる半導体産業
四. オ-ドリー・タン(唐鳳)率いるデジタル民主主義

第4章 世界を牽引する台湾デジタル民主主義

一. デジタル民主主義
二. ネットの問題への先進的な対応
三. デジタルが産生する新たな社会モデル

第5章 台湾有事ならびに地政学上のリスクおよび対応

一. 台湾有事
二. 地政学上のリスクおよび対応

第6章 台湾総統選挙

一. 直接選挙
二. 民主台湾の積極現状維持外交に向けて

第7章 麗しの民主台湾(フォルモサ)

一. 世界の舞台へ
二. 台湾海峡の平和
三. 中共の武力行使による統一の拒否
四. 明日の輝ける台湾へ

おわりに

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