正誤表『大学受験 日本史 形式別演習ドリル』 - 2024.04.03
食えなんだら食うな
今こそ禅を生活に生かせ
解題 ー 復刊に寄す 執行草舟
「人はパンのみによって生くるにあらず」、そうキリストが言ったと伝え聞く。 私が最も仰ぎ見る思想の一つが、この言葉なのだ。なぜ、そう思うのか。それは、魂の糧を食らい続けることだけが、人間を本来の人間にするのだと述べているものだからだ。 人は魂の鍛練によってのみ、 人として生き切ることが出来る。そして魂の鍛練は、過去の偉大な魂を食らうことによって養われるのだ。そのためにのみ、読書がある。読書とは、そのことだけを言う。
私は死ぬほどに、その読書をして来た。それが、私の唯一の誇りである。他に誇るものは何も無い。 こと読書に関しては、 古今束西の名作で、読んでいないものは無い。 そう言い切れるほど読んだ。 私は人生で四度、死を宣告されたことがある。その日も、私は読んでいた。それらの書物は、すべて人間本来の、本当の「希望」を語る本であった。すべて覚えている。忘れることなど出来ようものか。 私は読書そのものに、 命を懸けているのだ。
その一冊が、本書である。この本は、私の命の「思人」なのだ。いや、それだけではない。私が事業を起こすときの、 その創業の決意をぅイ定してくれたのも本書なのだ。 本書によって助けられた私の命に関しては、 もう四十年前となり、事業の創業は三十五年ほど前になる。私は本書を、 四十年間に亘り書斎の正面に並べ、ずっと読み続けて来た。毎日、眺め、声をかけ、触り、そして読んで来た。私の人生哲学の重大ないくつかは、本書からもたらされて来たのだ。 私は、本書をまさに食らい続けて生きて来た。 そして、 その幸運をいま振り返っている。
本書は、それほどの本であった。 しかし、長らく絶版となっていたのだ。私は残念でならなかった。 古本もすでに尽きてしまっている。 その私の無念を、晴らしてくれたのが今回のこの復刊である。 何と言う喜びだろう。声に出すことも出来ない。復刊の運びを聞かされたとき、私はすぐに思つたことがある。それは、これでまた多くの人たちが立ち上がることが出来る。心の底から、私はそう思った。 そして、 その舞台を作ってくれた 「読書のすすめ」 店長の清水克衛氏と復刊を断行した 「ごま書房新社」 に対して黙礼を捧げたのである。
本書は、 そのような数少ない名著の中の名著の復刊なのだ。 手に取る読者の方々は、 ここから新しい人生が生まれるとってくれていい。 本書にはそれだけの力があるのだ。 著者の関大徹老師は、 禅の最高境地を生き切つた本物の大人物である。禅僧というだけではない。 人間として、最高の人間なのだ。私が知る最高の魂をすべて具現している。厳しく悲しい人である。温かく面白い人である。 そして、何よりも可愛らしい人だ。私はそう思う。
だからこの本は、死ぬ気で読んでほしいのだ。すべてを信じて読んでほしいのだ。つまり、本書自体を食らうのである。 自分の肉体に、 この本を打ち込んでほしい。 自分の精神に、 この本を食わせてほしいということに尽きる。 そうすれば、読む者の中に生(せい)の飛躍が起きるに違いない。 ひとつの革命が、読む者の人生に訪れて来るだろう。 それが読む者の運命を創り上げていく。本書を自己の座右に置けば、 必ず運命の回転が訪れて来る。
(中略)
「生きるとは死ぬことである」。大徹老師が、関大徹が、そう言ってくれなければ絶対に進むことの出来ない状態であった。 私にとって本書は、 それほどの本であったのだ。 一冊の本が持つ力には測り知れないものがある。私にとって、その一冊がこの『食えなんだら食うな』なのである。私の命の「恩人」 なのだ。 その本がいまここに復刊されたのである。 何と言ったらいいのか。 言葉は、 いま書いてきたように取り止めも無いものと成つてしまうのだ。 これは仕方がない。 この一冊は、私にとってそれほどのものであったのだ。
最後に私が言いたいことは、 この一冊は本物であり、 人間の一生を創り上げるだけの力がある本だということである。本当にひとりの人間の人生を築くだけの力が、本書にはあるのだ。私も人間の中の一人に過ぎない。 これから本書を手に取る人たちも人間の一人に過ぎないのだ。 そして、 同じ人間なら、私に起こったことは必ず読者にも起こるだろう。本書を、そのように見て、そのように扱つてくれれば、本書は必ず読者の人生に飛躍をもたらしてくれるに違いない。私は、固くそう信じている。
平成三十一年四月吉日
関 大徹(せき・だいてつ)
明治36年、福井県に生まれる。大正5年、師の関頑牛に就き得度。大正14年愛知県曹洞宗第3中学校卒業。この年より12年間福井県小浜市発心寺、富山市光厳寺にて禅修行に励む。
昭和18年1月15日印可許状を受ける。昭和31年福井県吉田郡の曹洞宗の名刹吉峰寺住職。
昭和51年岩手県盛岡市報恩寺住職となり現在に至る。曹洞宗大教師。
この間、常に天衣無縫のはだしの禅僧に徹し、そのすぐれた行道は、現代まれにみる「生きた禅」として多くの人々に感銘を与えている。
食えなくなったら死ぬまでよ
饅頭につられて禅門に入った私
娑婆では死ぬこともままならぬ
蟬に禅の何たるかを教えられる
立場かわって身の程を知る
厳しくしごかれた他宗の門
食えなくても食えた
病いなんて死ねば治る
ガンで死ぬのもまあいいじゃないか
衆生の恩恵によって私は生かさせている
思いやりでいくつも病いを克服した
無報酬ほど大きな儲けはない
出せるだけ出すのが寄付の心
無償の行為こそ「徳」である
「無一物中、即、無尽蔵」という人生の秘密
ためにする禅なんて噓だ
禅は勝利への方便にあらず
あくまでも個人のさとりである
ガキは大いに叩いてやれ
子供のときこそ鍛えよ
「心」を与えるのが母親の役目
子供の問いかけをおろそかにするな
社長は便所掃除をせよ
「行」が変える人間の運命
「陰徳」は人に見せるものではない
「オレがやってやったのに」では何にもならぬ
自殺するなんて威張るな
お節介でいろんな人を助けた
子を寺にあずける親の不可解な心
あらゆるものは「仏」になれる
家事嫌いの女など叩き出せ
男が女々しくなった今日このごろ
人間鍛えられて強くなる
何が不幸か幸福か
若者に未来などあるものか
怒りの読経の意味を知れ
この世はすべて「諸行無常」
犬のように食え
坐禅はいいが食事はかなわん
犬の食事と「以心伝心」
食事もまた修行である
何のために食うのか
精進料理の精神とは
地震ぐらいで驚くな
死ぬのは結局おのれ一人
神仏に背を向けた坊主の話
忘れることのできぬ戦争の体験
死ねなんだら死ぬな
生きるとは死ぬことである
死に様に学ぶ人の生き方
人間それぞれ宝を持てる
解題 ― 復刊に寄す 執行草舟