新刊

女性に関する十二章

名著復刊ー戦後出版界に“十二章ブ-ム”を巻き起こした本書は、伊藤整の卓抜な批評眼が最も鋭く示されたエッセイとして名高い名著

著者 伊藤 整
ジャンル 教養
シリーズ エッセイ・ライトエッセイ
出版年月日 2021/07/29
ISBN 9784341172398
判型・ページ数 4-6・210ページ
定価 本体1,500円+税

伊藤 整(いとう せい)

1905年(明治38)北海道生まれ。本名ひとし。 小説家、詩人、文芸評論家、翻訳家。

叙情派詩人として出発したが、その後小説・評論に重心を移す。旺盛な作家活動を展開し、その作品は川端康成に推奨される。ジェイムズ・ジョイスらの影響を受け「新心理主義」を提言。
私小説的文学の理論化をめざし、評論など多方面で独創的な多くの仕事を残す。
戦後、その翻訳で「チャタレイ裁判」が起こり戦後の文学史上で、性の表現をめぐる問題提起となり世相を揺るがした。
日本ペンクラブ副会長、 日本近代文学館理事長など歴任する。日本芸術院会員。

 

 

序 文                  泉美木蘭(いずみもくれん)

 「ストップ地球温暖化」「僕たちみんな地球市民」「一人ひとりの個性を認め合おう」「人権守れ!」「クジラを殺すな!」「すべての差別のない世界へ」「すべての人が輝く社会を目指して」—。
 人は、スローガンが好きなようです。
 「男女人類みんな平等だ」と言っていた同じ人が、みんな違う人間なんだから「個人の自由を尊重しろ」と言い出したりして、平等の枠内に収まってほしいのか、それとも自由に飛び抜けて不平等を生み出してもいいのか、一体どっちなんだと困惑させられます。
 また、「クジラを殺すな」と言われても、ではなぜ家畜のことは丸無視なのだろうか、 この世界には、人権とクジラ権は存在するけれど、イベリコ豚権や松阪牛権はスル—すべしとされているのだろうか、いつの日か、すべての家畜が輝く世界は訪れるのだろうか、 などと考えこまねばなりません。

 なかでも、近年、ひと際力強く聞こえてくるようになったのは、「女性の人権向上」「男らしさ、女らしさはいらない」など、フェミニズムやジェンダーに関する主張です。
 私自身、 女性ならではの不遇や、横暴な男性に対する不満は本当によくわかりますし、あの時、メリケンサックで股間をパンチしてやればよかったと思う男も一人や二人はいます。
 国会議員の顔ぶれは、いまだにオッサンばかり。どうも女性は「女性議員キャラ」として、「いかにも女性が言いそうなこと」を担当するための手駒として扱われているのではないかという印象を受けることが多いです。
 同時に、これは、社会構造の問題でもありながら、女性側の本気度も問われており、自分自身が怠ってきたことを投影されているような、うしろめたさも感じるのが正直なところです。
 このような感覚で、女性の権利を主張されている、フェミニズムと呼ばれる界隈の方々の言動を見聞きするわけですが、私には、どうにも腑に落ちない思いをすることが少なくありません。

 例えば、新型コロナ禍における自粛政策では、接客・サービス業をはじめとする非正規雇用の女性たちが、真っ先にシワ寄せを受けて失業に追いやられてしまいました。
 「女性活躍」などと謳っていた日本において、女性の地位がいかに低いのかということが、これでもかというほどリアルな姿で表出したわけです。
 ところが、 フェミニズム界隈からは、「過剰な自粛で女性の職が奪われているぞ」「接待飲食業や観光業を生活の糧とする女性がいるのに、簡単に切り捨ててはいけない」といった猛反発の声がほとんど聞こえてきませんでした。加えて、女性の自殺が急増しているという報道もなされ、私は、「女性を救え!」というデモが起きるレベルではないかと思ったのですが、そのような流れにもなりませんでした。ただただ、経済的に弱い立場にある女性に対して、異様に冷たい世の中にショックを受けたのです。

 一方で、東京五輪パラリンピックをめぐっては、大会組織委員会の森喜朗会長が「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などと発言して大炎上し、辞任に追い込まれました。また、開会式の演出プランを練るアイデア出し会議においては、タレントの渡辺直美さんを豚に扮装させて「オリンピッグ」と名付けるプランを提案したクリエイティブディレクタ—の佐々木宏さんが、大炎上して辞任。
 「83歳の元総理」「大手広告代理店出身の広告マン」というキャラクターが、男性社会ニッポンにおけるエ スタブリッシュメントの象徴であるかのように映り、そこに、コロナ禍における人々のストレスが被さって、ここぞとばかりに「総攻撃していいぞ!」という旗が振られたように私には見えました。
 しかし、考えてみて下さい。実際のところ、森さんや佐々木さんの発言に対して、地獄のようにムカついた女性たちの地位と、その同時刻、収入源を奪われて、子ともを抱えながら、社会からも冷たくそっぽを向かれ、明日をどう生きればよいのかという、リアルな地獄に陥れられていた女性の地位。これは一体、どちらが優先して取り上げられるべき問題なのでしようか。
 スローガンやイメージとして展開されていく主張や、猛烈に膨らんでいく感情。一方、ごまかしのきかない現実として、厳然とそこにある、人間の生きる世界。
 「女性」をテ—マとした現代の炎上案件は、その接続点が極めてあいまいで、肝心かなめのところで、「いや、そうじゃないでしょ・・・・・」とガックリきてしまうことが多いのです。
 この感覚に少しでもうなずいて下さる方も、いやいやそれはキミの理解不足だよと反論のある方も、まずは本書を読んでみて下さい。

 伊藤整『女性に関する十二章』は、昭和二十八年一月から十二月まで雑誌『婦人公論』 に連載された当時の大人気エッセイです。翌二十九年に中央公論社から刊行された単行本は、たちまち大ベストセラーとなり、多くの女性たちに読まれ、のちに映画化もされています。
 だからと言って、この令和の時代に、七十年も前のオッサンが、女性について書いた文章なんて読む価値あるの?どうせ古い男尊女卑的価値観じゃないの?半信半疑でページをめくりはじめると、まずは、当時の女性運動家たちのヘンテコな理屈に対して繰り出される、知的ユーモアに自虐をまぶした風刺の数々に思わず笑わせられてしまいます。
 そして、著者の人柄に親しみを感じたところに、伊藤整という作家の、女性や人間社会に対する真正直なまなざしを感じ、実際の体感、芸術的素養、哲学的思考とを自由に往来しながら深められてゆく女性論に、知的好奇心をくすぐられることになります。
 読み進めるなかで、さすがに今とは少し感覚が違うのでは、と感じられる部分もあるかもしれません。しかし、お仕着せの概念に流されない、柔軟で緻密な思考は、「女性」という枠におさまらず、やがて、人間とはどういうものなのか、他者と関わりながら生きるとはどういうことなのかという人間論の世界にまで読者を誘ってくれます。それは、時代によらない真理について考える体験でもあります。

 十二章を読み終えたとき、この過去の書物が、 実は、現代における女性をめぐる問題を考えるための「肝心かなめ」を彩るものであり、それは、あなたのなかで思想の芽として息つきはじめていることに気がつくでしょう。

序文  ♦泉美木蘭

第一章 結婚と幸福

第二章 女性の姿形

第三章 哀れなる男性

第四章 妻は世間の代表者

第五章 五十歩と百歩

第六章 愛とは何か

第七章 正義と愛情

第八章 苦悩について

第九章 情緒について

第十章 生命の意識

第十一章 家庭とは何か

第十二章 この世は生きるに値するか

結びの言葉

復刊に寄せて ♦弁護士山本明生

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