パンツを脱いだあの日から-日本という国で生きる

日本社会の一員となったバングラデシュ人の物語

「パンツを脱ぎなさい!」 番台のおばちゃんの声に-プライドが崩壊した瞬間-しかし同時に、日本人に生まれ変わった瞬間でもあった

著者 マホムッド ジャケル
ジャンル 教養
シリーズ エッセイ・ライトエッセイ
出版年月日 2022/03/28
ISBN 9784341088071
判型・ページ数 4-6・240ページ
定価 本体1,300円+税



まえがき

 この本を手に取っていただきまして、ありがとうございます。
 私はマホムッド ジャケルといいます。バングラデシュ人です。
 バングラデシュ、どんな国かご存知でしょうか。よく言ってもらうのが、日本と国旗が似ているということです。日本は日の丸、白地に赤い丸。バングラデシュは緑色に赤い丸です。
 また、少し年配の方でしたら、日本赤軍による1977年の「ダッカ日航機ハイジャック事件」で知っている方もいるかもしれません。ダッカは、バングラデシュの首都です。

 しかし一番のイメージは、「最貧国」ということです。
 実際、バングラデシュはとても貧しい国です。
 私が子どもの頃ほどではありませんが、それでもいまもまだ貧しい国です。
 そのため、第二次世界大戦の敗戦でどん底に落ちたはずなのに、わずかな期間で世界を代表する経済大国に発展した日本と日本人に、私をはじめバングラデシュ人たちは憧れを抱いています。
 壊れにくい、質の高い、そんな日本の商品に心を躍らせた、親日の国です。
 私は日本に憧れ、青年期までを過ごしたバングラデシュを発ち、外国人留学生として日本に渡りました。

 当時、日本はちょうど外国人労働者が増えていた時代です。
 まだお互い、異なる文化の理解には至っていませんでした。バングラデシュ人の多くがイスラム教徒ですから、文化の違いには大いに戸惑いました。

 「パンツを脱いだあの日から」
 このタイトルには、その文化の違いがあらわれています。
 まったく文化の違う日本で、ひとり孤独と戦いながら、なんとかアルバイトにしがみついて、ぎりぎりのところで生活を繋ぎとめていました。
 そのときの葛藤と苦難は、はかり知れません。怒号が飛び、血が流れたこともあります。
 ただそんな中で、「日本人の優しさ」と「日本人らしさ」に触れ、外国人労働者として働いていた私は、強烈に「日本人になりたい」と思うようになっていきます。

 いま、日本は外国人労働者の受け入れや、出入国在留管理庁(当時の入国管理局)など、外国人に対してのさまざまなキーワードを耳にするようになりました。
 外国人労働者である彼ら彼女たちは、どんな人生を抱えて、日本に来ているのか。そしてどうして日本に憧れ、日本を選んできたのか。

 私の半生を少しずつお話する中で、その「本当のところ」をお伝えできれば。ひとりひとりの外国人労働者が抱えている母国の背景、考えていることを知っていただければ。
 何より、そのことを通じて、日本とバングラデシュの架け橋になることができたなら。
 こんなに嬉しいことはありません。

 また、もうひとつ伝えたいことがあります。
 私は日本語の読み書きはできますが、決して流暢ではありません。しかしご縁をいただいて、こうして日本語の書籍として出版することができました。
 そこには、私の話したことを書き起こし、原稿にしてくださった西亀真さんの存在があります。 西亀さんは盲目です。目が見えません。
 でもそのことを忘れるぐらい、ひとつひとつ丁寧に文章にしてくださいました。
 この場で感謝申し上げます。本当にありがとうございます。

2022年1月

           マホムッド ジヤケル


♦著者略歴

マホ厶ッド ジャケル

1972年、バングラデシュ独立戦争中に生まれる。フェニ県ダゴンブィヤンプロショバ ゴニプル村出身。

アジアの最貧国と言われたバングラデシュで青春期を過ごし、1994年4月に来日。出稼ぎも兼ねた外国人留学生として日本語を学び、城西国際大学人文学部に入学。在学中にバングラデシュの現状を訴えたスピーチで、「留学生日本語弁論大会」NHK大阪社長賞を受賞。また翌年には「留学生スピーチコンテスト」で毎日新聞社賞を受賞。

卒業後は外国人労働者として、仕事を転々としながら入国管理局や大阪府警察本部などで民間通訳人(日本語・ベンガル語)も担当する。2003年にはハクキンカイロ株式会社に入社し、現在に至る。

仕事の傍ら、バングラデシュ人留学生に日本生活情報支援を行い、2019年にはNPO 法人関西バングラディシュソサイエティ(KBS)を設立。日本とバングラデシュの架け橋になるため、在日バングラデシュ人には日本の文化を、日本人にはバングラデシュの文化を伝えている。また、現在は日本国籍を取得している。大阪府吹田市在住。

まえがき

第1章 バングラデシュに生まれて

♦戦争のなかで生まれた、お米3kg分の生命
♦病気になって頼るのは、医学ではなく神の言葉
♦サイクロンがもたらす災害と、医療不足で亡くなる子どもたち
♦使用人と一緒に食事をしよう。バングラデシュの常識を覆した父親
♦盗みをする子どもと、労働力となる子どもたち
♦バングラデシュにあるイスラム教「宗教学校モクトヴ」に思うこと
♦日本人に知ってほしい、バングラデシュの偉大な詩人
♦バングラデシュの国歌「我が黄金のベンガルよ」
♦恋愛のタブー。「今度やったら、殺すからな。二度とするなよ」
♦夫の出稼ぎで家に残された妻と子ども。それゆえに起こること
♦初恋の結末。ライリ—が教えてくれた、バングラデシュに暮らす女性の一生

第2章 日本への旅立ち前夜

♦高校に行かなければ、あとはずっと安い賃金で働くだけ
♦「本当の目的」を見失わなければ、人生には失敗も後悔もない
♦ダッカ2千万人のホ—ムレス。そのうちのひとりになる
♦「じゃあ、結婚する覚悟もあるっていうの?」というリリーに答えたこと
♦「友だちに日本人がいる」がバングラデシュ人の自慢になる
♦日本への旅立ちが意味することと、リリーとの別れ
♦日本への旅立ち前夜。家族のまえで気丈にふるまう心のうちは

第3章 日本という国で生きる

♦日本は、美しい。忘れられない缶コ—ヒ-
♦日本で暮らすとは、パンツを脱ぐということ
♦外国人留学生の心を狂わせる「保証人」というもの
♦日本語がわからない苦労。「あなたは嘘つき。あなたのお父さんも嘘つきね」
♦はじめてできた親友は、人じゃなかった。孤独で迎える断食祭
♦リリー。最後にもう一度、きみの声が聞きたい
♦保証人としてビザの延長はしない。強制送還か、不法滞在か
♦シンクが赤く血で染まる。日本でのアルバイト
♦死の淵から救ってくれた言葉。「きみは大学に進学しなさい」
♦入学金80万円もの大金をめぐる奇跡

第4章 日本の人たちと関わって

♦日本の人たちはやっぱり優しかった……
♦景気に左右される、不法滞在と強制送還
♦大学生活が変わったスズさんのひと言。「あなたの力を貸してほしいんだけど」
♦NHK留学生弁論大会で訴えた、「私たちは本当に人間ですか?」
♦初来日の弟は、即手術・即入院
♦心からこぼれた想い。日本に来て、 本当によかった
♦「聞いてあきれる!」いまでも耳の奥に残っている父さんの声
♦兄さんの本音。「……俺、バングラデシュに帰りたい」

第5章 日本人のひとりとなって

♦約束のゆくえ。ブローカーが持ちかけた就職の話
♦宗教と気持ちのはざまで。私の結婚
♦「……これは、人間の暮らしじやない」妊娠の裏で起こっていたこと
♦男性の産婦人科医と、イスラム教のはざまの出産
♦決まらない面接の先。「私を雇ってもらえませんか」
♦「きみも一緒に、労働基準監督署に行こう」と誘われても
♦そして、日本人になる
♦西川さんのこと。わが家に残された西川さんの上着
♦「あなたのせいで、子どもを失ってしまった」日本に暮らすバングラデシュ人の苦悩

第6章 日本とバングラデシュの架け橋へ

♦「感情は捨ててください」通訳をして知った不法滞在の背景
♦ここにいるはずのないバングラデシュ人たち
♦頼れるひとがいない。外国人留学生の嘆きを受けて
♦若いバングラデシュ人を救う日本の心のあり方
♦あきらめない日本の「心」に憧れて
♦安易な道ほどやがて険しく、険しい道ほどやがてらくになる
♦日本とバングラデシュの架け橋として叶えたい夢
♦私には夢があります。I Have Dream

本書刊行に寄せて  吹田市長後藤圭二

あとがき   幸せの入り口屋 西亀真一

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