正誤表『大学受験 日本史 形式別演習ドリル』 - 2024.04.03
その料理、秘められた狂気
まえがき
走り続けた。とにかく走り続けた。
18歳で料理の世界に入り、36年間脇目も振らず走り続けた。
そもそもは、ものを作ることが誰よりも苦手だった。
料理など作ったこともなかった。
勉強もわからなくなり、大学進学を諦め、見つけた仕事が料理の世界だった。
料理の世界は、学歴も家柄も、持って生まれた身体能力も全く必要とせず、私にすべての可能性をくれた。
不器用な自分でもやればできるようになると信じ、一度しかない人生のすべてをかけた。
自分の中にある、行き場のないプライドは、すべて料理で表現すると決めた。
人より努力し、勉強し、行動する以外に手段はなかった。
そこからは、どうしたら上手になれるか、どうしたらおいしい料理ができるか、どうしたらお客さまから認められるのかを、毎日毎日考えた。
刺身の切り方、鮎や鰻の炭火焼き、出汁をとる、野菜を煮るなど、やればやるほど、知れば知るほど、次の扉が開き、見つけること、つかまえることのできない深みにはまっていった。
最高の料理、究極の料理とはなんなのか。求めれば求めるだけ、答えがわからなくなる。
ただ死ぬまでに、これが“究極”だ、を見つけるつもりでいる。
そして料理の世界だけは、こんな私の毎日を裏切らないと信じている。
本書はたかだか36年間ではあるが、私が日本料理と日本料理界に向き合ってきたわずかな出来事を、現役の料理人の皆さま、飲食業界を目指す若者たち、そしてグルメファンの方々のお役に立てればと思い書きました。
2023年11月 銀座小十 奥田透
著者紹介
奥田透(ぉくだ・とおる)
1969年、静岡県生まれ。静岡の割烹旅館「喜久屋」、京都の「鮎の宿つたや」なとを経て、徳島の名店「青柳」で修業。1999年、29歳にして故郷・静岡で「春夏秋冬花見小路」をオープン。2003年に東京・銀座に「銀座小十」をオープン。その後、「銀座 奥田」をオープン。2013年9月にはパリに「OKUDA」をオープン。東京すし和食調理専門学校教育顧問、農林水産省日本食普及の親善大使などを務める日本を代表する気鋭の料理人。
主な著書に、『日本料理 銀座小十』(世界文化社)、『焼く:日本料理 素材別炭火焼きの技法』(柴田書店)、『本当においしく作れる和食』(世界文化社)、『世界でいちばん小さな三つ星料理店』『三つ星料理人、世界に挑む。』『日本料理は、なぜ世界から絶賛されるのか』(すべてポプラ社)、『銀座小十の料理 歳時記十ニカ月 守破離のこころ』『銀座小十の盛り付けの美学』(誠文堂新光社)がある。
第1話 鮎
「夏」を表す日本料理の最高峰 鮎の塩焼き
私が求める究極の鮎の塩焼き
他の店とは違う鮎の塩焼きを出す
生きた鮎でなければならない
国産の備長炭で焼かなくてはならない
体長15〜16cmの鮎でなければならない
6月1日には100%の鮎の塩焼きをお出しできるように
焼き手と徹底的に向き合う
第2話 鰻
私の料理観を揺るぎないものにした天然大鰻
徳島青柳で出会った天然大鰻
天然大鰻で勝負する
蒸すか蒸さないか
火の前に立つサディスティックな行為
第3話 炭
魔法のように素材をおいしくする最高の調味料
炭から放射される遠赤外線のメリット
炭の最高峰 紀州備長炭
炭火ブ-ム到来
一瞬で周りを虜にする炭火焼きの香り
第4話 水
神に愛された日本の奇跡
世界でも稀な豊富で上質な水
その土地の水で料理は変わる
水にこだわる
出汁と水
料理の進化のために水を探し続ける
第5話 煮物
心と体も温める
油を使わない唯一の料理
繊細でしみじみとおいしい日本料理の煮物
煮方仕事は料理屋の要
第6話 剌身
世界で唯一の料理 剌身
生魚一切れで表現する料理
世界に類のない位の髙い一品 刺身
日本料理屋の刺身と鮪屋の握り
切るを極める
第7話 活き褅め
世界の魚料理を変える
フランスパリで活き締めを広める
第8話 包丁
「切る」=包丁
切るを知り、包丁を知ること
初めの包丁選び
プロとして白分自身の包丁を手に入れる
包丁を研ぐことは自分を研ぐこと
第9話 器
和食器
先細りしていく陶芸界
現代作家たちと向き合ぅ
私が描く陶芸界の未来
第10話 経営
店主として
経営者失格
お金力なくて、学ぶこと
一生の間に入ってくるお金と、出ていくお金は決まっている
第11話 神さま
人生に偶然はない。導かれて今がある 私の神さま
直面する出来事の意味を考えて成長する
コロナ禍で感じたこと
気付きを与えてくれた易者さん
スピリチュアルな不思議な世界
神さまが私にさせたいこと
第12話 50歳を迎えて
50歳で考える
なにかを変える
守破離の精神
キ-ワ-ドはかっこいい
新しい日本料理を生み出す
おわりに