正誤表『大学受験 日本史 形式別演習ドリル』 - 2024.04.03
上方艶ばなし
口上
酒と女は気の薬さ、とかくこの世は色と酒。小唄の文句にもあるとおり、酒の席で色気の話をして叱られることは、まずあり得ない。いや、むしろ無くてはならぬものの様な感じ。クリープを入れないコ—ヒーより、お色気ばなしの出ない酒席の方が何倍かつまらない。
ところが、このお気色ばなしも、自分がいかにもてたか……ということをとくとくとしゃべるぐらいイヤ味なものはない。どちらかと言うと、ふられた話、失敗談のほうが、喜ばれる。しかも、その話に酒落た落ちでもついていようものなら、それだけで、その場のスターになれること請け合い。とは言うものの、だれにでも、そんな、手ごろな話が出来るとはかぎらない。そうした経験談をもたない人はどうするか……? 酒席だけではない、世間ばなしの中にチョイとはさまれるお色気ばなし、これを、さりげなくサラリッとやれば、かたくるしい話も柔らかくなって商談などス厶—ズに進むこと、これまた請け合い。そんなときには、どんな話がよいか……?
お色気ばなしは男性だけのものではない。ホステスさん芸者さんでこの手の話の功者はたちまち売れっ妓である。ところが、ところがである。一歩過まるとプロ以外の女性がお色気ばなしをすると意外にエゲツナくなることがある。すぎたるは、およばざるがごとしだが、チャーミングな若奥様、キリッとしたOLが、チョロッとロをすべらして自身がポッと頰を染めるお色気に目を細めない男性はまずあるまい。しのぶれど、色に出にけり我が恋は……と、いうのが女性のお色気であろう。では、そのお色気とは……?
以上いくつかの「?」に答えてくれるのがズバリ江戸小咄である。そう言うと、江戸小咄という言葉はよく聞くのだが、上方小咄というのは無いのか、というお尋ねに、チョイチョイぶつかる。
ことのついでに、これの説明も申しあげておこう。
江戸小咄とは、江戸の小咄という意味ではなく、江戸時代の小咄ということであって、徳川家康が江戸に幕府を開き、関ケ原に勝利を得て天下の主となった慶長五年(一六〇〇年)から十五代将軍慶喜が大政奉還した慶応三年(一八六六年)のあいだに上方も江戸もひっくるめて、何と約千種ほどの噺本が出版された。これをすべて江戸小咄というのである。
しかも、元禄ごろまでは京大阪に栄え、享保、宝暦から天明ごろまでは江戸が中心となり、寛政ごろらは両者競い合い、噺家もたくさん出て隆盛に拍車をかけるので、噺本も上方から江戸へ、 江戸から上方へと流通しあい、どこまでが上方種、どこまでが江戸種、一見いずれともわからないものがたくさんある。要は、江戸的にサラリッと話すか、上方的にネッチャリと話すか、その内容が上方むきか江戸むきかというだけの違いであろう。
ともあれ、おもしろくさえあれば、そんな理屈はどうでもいい。読者のみなさんに笑ってもらって、いくらかでもお役に立てば、それだけでこの本の役目は果たせたと思う。
小咄ばかりを、やたらに並べてみても、お茶漬ばかりではアッサリしすぎてお腹がふくれまいから、老婆心やら蛇足やら、あいだへ油っこい天プラやら洋食やら、中華料理まで盛りつけて、とにもかくにも一年ワンコ—ス。デザ—卜は読者の舌にのってからのお楽しみ……。
どこから読まなければならぬという本でもなし、どこまでが一区切りというものでもない。そこはそれタイトルどおりの「上方艶ばなし」、開いたところに目をむけてもらえば、それで十分。 チラッと開くか、タップリ見るか、それも貴方の手加減一つ。指につばつけ、ペロリとめくる。 さてそれからは……まずは本文、そのため口上、東西、東—西ィ。
昭和四十八年十二月
二代目露の五郎
一月 艶ばなし 正月風景
●艶ばなしのコツ(1)
二月 艶ばなし 曲垣平九郎
●この艶ばなしについて
三月 艶ばなし 雛祭り
●艶ばなしのコツ(2)
四月 艶ばなし 金瓶梅
●この艷ぱなしについて
五月 艷ばなし 端午の節句
●艶ばなしのコツ(3)
六月 艶ばなし 大奥物語
●この艶ばなしについて
七月 艷ばなし 夕立と雷
●艶ばなしのコツ(4)
八月 艷ばなし 女護が島
●この艶ばなしについて
九月 艶ばなし 名月の宵
●艶ばなしのコツ(5)
十月 艷ばなし 唐人お吉
●この艶ばなしについて
十一月 華燭の宴
●艶ばなしのコツ(6)
十二月 艶ばなし 忠臣蔵
●この艶ばなしについて
◆著者 露の五郎氏 紹介