新刊

官能小説家だからこそ読み解けた 魏志倭人伝18の謎 邪馬台国は熊本平野の〇〇

異色の「邪馬台国本」登場! “百家争鳴”の研究家諸氏に「18の疑問」を直言してみた!!

著者 吉野 純雄
ジャンル 実用・趣味
シリーズ エッセイ・ライトエッセイ
出版年月日 2023/08/18
ISBN 9784341088422
判型・ページ数 4-6・184ページ
定価 本体1,400円+税

読者や論者の中には、素人になにが分かるのか、
などと反発する向きもあるかも知れませんが、
いかにしがない官能小説家といえども人間です。
あまリ素っ頓狂なことは書いていないつもリですが、
論よリ証拠と申します、
とリあえず素直な気持ちで読んでみてください。

まえがき

 官能小説家でも、常に頭の中をいやらしい妄想でムニュムニュにしているわけでもありません。たまには知的好奇心にとらわれて、むずかしいことを考えたりもします。
 卑弥呼のことを小説に書く必要に迫られて、魏志倭人伝を読みましたが、私には謎の部分など、まったくないと思われたのです。ついでと言っては何ですが、ついでにいわゆる「邪馬台国本」も読みましたが、研究家と称する人たちが、どうしてこんなにまでひねくれた解釈をするのか不思議に思ったものです。
 活字も残っていない弥生時代のことですから、どんな風に解釈してもよろしいのですが、あまりにもひどい見解、そしてねじ曲げすぎだろうと思われる曲解が得意げに述べられている作品が多くて、ひとりで憤慨していました。
 卑弥呼とか邪馬台国とかタイトルにでかでかと掲げているのに、邪馬台国の場所を比定もせず、卑弥呼の正体もあばかずに、自分の得意ジャンルの研究結果だけを発表しているという、誠にもって不埒な、ブームに便乗しただけの書物も少なくありません。
 魏志倭人伝を素直に読み解けば、素直に納得できる部分までつついては強引に自説に持っていったり、そもそも比べること自体が無理とわかりそぅな他の書物を引き合いに出したりしているのは当たり前で、はなはだしい論者は外洋航海の大型船で日本の河川を遡上させたり、数字や方角を操作したり、書き間違いだ捏造だと主張して無理矢理に帳尻を合わせたりもしています。
 それではいきなりですが、邪馬台国研究者がどれほどユニークな比定地の数々をあげているか、例を見てください。

 比定地論は今、日本国内に留まらず、海外にまで飛び火している。その中でもとくに世間の注目を集めているのが、インドネシア説だ。この説を唱えるのは、東洋史学者の内田吟風氏。氏は一九七五年に、邪馬台国の所在地に関する論文を朝日新聞に発表している。
 その論点は、「魏志倭人伝」を素直に読むことにある。帯方郡から邪馬台国への総距離が一万二千余里であると書かれていることは、前述した。内田氏は一里を漢魏の頃の四二〇メ—トルと読み、一万二余里は五〇〇〇キロあまりに相当すると計算。地図と照らし合わせたところ、スマトラ島やジャワ、バリ島が連なる大スンダ列島に辿り着くと主張したのである。
 さらに、ユニークな説は、哲学者の木村鷹太郎氏のエジプト説だ。日本民族はもともとラテン系で、その昔エデンの地に起こり、ギリシャ、エジプトに建国した氏族であるという。そして邪馬台国はエジプトにあったと論じている。

 「もし、邪馬台国の位置を確実に定めうるだけの情報が'『魏志』「倭人伝」の中に含まれているならば、邪馬台国について、これだけ多くの本が刊行され、これだけ多くの人たちが、長年にわたって力を注いで、解けないはずがない。
 解が『不定』となるべき性質のものであれば、邪馬台国を九州とするのも、一つの『正解』でありうるし、邪馬台国を大和とするのも、一つの『正解』でありうる。どちらも、与えられた条件を、ある程度満足する解だからである。
 『魏志』倭人伝だけによるとき、邪馬台国の位置を、一意的に定めることができないという基本的な事実を、私たちは、まず率直に承認すべきである」

 九州説の橋本は邪馬台国を福岡県山門郡と推定し、その「以北」の久留米市の高良山とその周辺を投馬国に推定する。水野祐も、橋本と同じに福岡県山門郡に女王の都を推定し、投馬国を「筑後川上流々域にあるものと考える」と書く。太田亮は邪馬台国を熊本県北部の菊池郡山門郷とその周辺とし、投馬国を福岡県の上妻・下妻・三潴の三郡の筑後川流域とする。

 邪馬台国の所在地は、筑紫山地の南辺(筑紫平野)であること。佐賀市近辺と考えられる。投馬国は沖縄本島が該当すること。

 「築紫女王国」と「畿内邪馬台国」の関係については、卑弥呼の居る「築紫女王国」を起点としての、西から東に向かっての宗教戦争(これを「倭国大乱」とみる)の到達点として、新たに都として定められたのが「畿内邪馬台国」だという。ただし、卑弥呼は引き統き「築紫女王国」に留まって、「畿内邪馬台国馬」の統治は「男弟」に委任していたとみる。

 久米が「筑紫女王国」と「畿内邪馬台国」が同時期に存在したとするのに対して、大和は、卑弥呼の時代の都であった女王国が、次の台与の時代に大和に東遷して成立したのが邪馬台国であるとみることである。
 つまり、時代を異にする二つの「女王の都する所」の国を、陳寿は女王国・・・・邪馬台国と誤解して、伊都国から千五百余里の女王国に至る里程に替えて邪馬台国に至る日程を誤綴合してしまったとみる。

<中略>

 個々の事例については、第一章で例をあげて逐一反論を加えていますから、ここでは触れませんが、もうすでに比定地だけでも珍説がいっぱい出てきていて面白いでしょう。
 読者や論者の中には、素人になにが分かるりか、などと反発する向きもあるかもしれませんが、いかにしがない小説家といえども人間です。あまり素っ頓狂なことは書いていないつもりですが、論より証拠と申します、とりあえず素直な気持ちで読んでみてください。

     吉野純雄


♦著者略歴

吉野純雄 (よしのすみお)

1947年、東京都立川市生まれ。小説家、官能小説家。
海外を放浪のように旅すること数度。いくつかのペンネームで、さまざまなジャンルの官能小説を書くなど。真面目な作品もないわけではない。

まえがき

第一章 邪馬台国論者が迷い込んで抜けられない18の謎とは

なぜ、北岸にはっきりした答えを出せないのか
なぜ、七千余里をいじくりまわすのか
なぜ、一海千余里にこだわる
なぜ、末盧國を無視する
なぜ素直に、東南に進まない
なぜ、役職と決めつけるのか
どうして、戸と家との使い分けを無視するのか
水行二十日問題を解決する
ホワッツ 放射説
女王国と邪馬壹国を混同するな
女王国以北問題にケリをつける
一万二千余里問題を解明する
なぜ、卑弥呼を素直に受け入れるのか
もうひとつの以北問題
追加挿入のフェイク文に惑わされて、どうするの
どうして、船のことに触れないのだ
なぜ、和国の使者を和人と決めつけるのか
なぜ、邪馬壹国と邪馬臺国を同一視するのか

第二章 校尉梯儁の見たまま女王国

第三章 やっぱり原文を載せます

第四章 倭人伝 私はこう読む

あとがき

♦参考文献

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