正誤表『大学受験 日本史 形式別演習ドリル』 - 2024.04.03
日本人の“ご利益”信仰
日本人の心にやどる神仏への祈り
まえがき
毎年、お正月には、初詣でをする人びとで全国の神社仏閣が、あたかもお祭り騒ぎのようなにぎわいを見せ、その数は、日本人の二人に一人の割合だとまで言われています。また、入学試験のシーズンともなれば、絵馬やお札に祈りをこめて“合格祈願”をする受験生たちの姿も見られるようになります。
人びとが参る神社仏閣には、“合格祈願”の北野天満宮や湯島天神、“商売繁盛”の銭洗弁天、“安産・子育祈願”の雑司ヶ谷鬼子母神などがあり、まさに、日本人は、今も昔も神や仏に支えられて生きているといった感さえあります。
確かに、日本の歴史をふり返ってみても、神道は祭りを通して、日本人の民族意識を一つにまとめあげる重要な役割を果たし、また、仏教も、先祖の霊を祀る仏壇を中心にして、「家」の考え方を維持する役割を果たしてきました。
ドイツの宗教社会学者・ルックマンの言葉を借りれば、神や仏は「見えない宗教」 となつて、日本人一人ひとりのパーソナルティの中に眠っており、私たちの血となり肉となって、心の奥底に生き続けているということになります。私たちは不幸に見舞われたり、危機的な状況に追い込まれたとき、我知らず心の中で神仏に手を合わせ、神社仏閣に詣でて神主やお坊さんに祈願や祈禱を頼み、憂き身をやっしたりします。これは、それまで心の底に眠っていた「見えない宗教」が、「目に見える宗教」となって現われ出たものと見ることができます。まさに、この「目に見える宗教」こそ、日本人にとっての“神さま・仏さま・ご利益さま”ということになるでしよう。
ところで、「苦しいときの神だのみ」とばかりに、神仏の前に祈ったとしてどんなご利益が得られるのでしようか。確かに、“家内安全・商売繁盛”に象徴されるように、物質的な欲望をむきだしにして、神仏にすがろうとする人間の姿は、真の「祈り」と呼ぶには、ほど遠いものがあります。
しかし、それはまた、例えば、我が身にかえても子どもの生命を助けてほしいと、切実に願う親の祈りと同じ根から生まれていることも確かです。ですから、単純にご利益信仰を否定し去ることはできません。
仏教を象徴するものに蓮の花がありますが、汚れきつた泥水の中に育ちながらも、その汚れに染まらず美しい白い花を咲かせます。これと同様に、今までは日本人の宗教といえば、ともすると、ドロドロとした地下水の湧れ出た表面だけに注目し過ぎて、地下水そのものを見ようとはしなかったきらいがあったようです。
私は、ブクブクと表面に湧れ出た民衆の素朴な信仰に注目しつつ、同時に、その底に脈打っている日本人の祈る心をしっかりと見定めることにしました。つまり、日本人のだれもが親しんできた”ご利益”信仰を通して、日本人の心の中に眠つている祈りを考えようとしたのが、この本だということです。
物質的には豊かになった現代人は、その反面、厳しい生存競争と自己葛藤に心身をすり減らしています。この現代を生きるすべての人びとにとって、この本が、美しい心の花を取り戻すための手がかりになれば、著者としてこれに優る喜びはありません。とかく宗教とか祈りとかというと、「自分は、無宗教な人間だ」と強調す る人びとが多いようですが、じつは、そうした人びとにこそ読んでいただきたいのです。
藤井正雄
♦著者略歴
藤井正雄 (ふじいまさお)
仏教学者、大正大学名誉教授、浄土宗僧侶。
東京生まれ。1957年に大正大学文学部哲学科卒業。63年同大学院博士課程単位取得退学。同年大正大学講師。大正大学助教授、教授、文学部長。ハーバード大学ライシャ ワー研究所客員研究員。日本生命倫理学会会長、京都大学再生医科学研究所倫理委員会委員を歴任。
論文「仏教儀礼の構造比較」にて、日本宗教学会賞受賞。
浄土宗勧学。文学博士。日本人の宗教生活の実態を明らかにするため、宗教人類学を方法にして、 歴史や儀礼を研究。2018年遷化。
(一) 神仏の好きな国民性
合格祈願でにぎわう天神さま
ご利益を求める善男善女
「ご利益」を観光に利用
神仏とは、日本人にとって何なのか
信仰を失いながら信仰を求める現代人
(二) ご利益の神々を紹介
神々のデパート・伏見稲荷
一日のお参りで四万六千日の功徳がある浅草寺
多種多様のご利益を授ける神社仏閣
ご利益を授けてくれる仏さま
インドの俗神だった仏を祀る豊川稲荷
安産・子育てのご利益神・雑司ヶ谷鬼子母神
飢饉・疫病にご利益・柴又帝釈天
お地蔵さまの代表・とげぬき地蔵
ゆりかごから墓場まで・日光山
天下の総菩提所・高野山総本山金剛峯寺
善光寺の縁起
石川五右衛門と善光寺のご印文
第二章 仏教・開祖の“ご利益”
日本人は、なぜ多宗教で無宗教な国民なのか
植物的文化が生んだ日本の神々
家や村は、神仏に擁護された要塞
「呪術」として受け容れられた仏教
仏教を宗教として理解していた聖徳太子
政争の道具に使われた仏教
ご利益信仰の原点「護国三部経」
商売の利益は、仏のご利益に通じる
天台宗の開祖・最澄
「修行僧の養成こそ、災禍を免れる道」
真言宗の開祖・弘法大師空海
空海の現世利益観——「薬も、信じて飲まねば効かない」
法然は、なぜ浄土宗を開いたか
法然の現世利益観——「ご利益がないときは、自分の心を恥じよ」
親鸞の「悪人正機説」
親鸞の現世利益観——「稲を望めば、藁は自然にとれる」
道元の現世利益観——「仏法のため以外に仏法を修めるベからず」
白隠禅師の現世利益観——「ご利益は真実の法門への方便だ」
日蓮——あいつぐ天変地異を憂えて立正安国を説く
日蓮の現世利益観——「今生の小苦より、後生の大楽」
ご利益は"民を釣るエサに"終わってはならない
第三章 ほんとうのご利益とは何か
(一) 祈りはまじないではない
「仏滅」や「友引」を信用するのか
祈りが生活のリズ厶となって、祭りが生まれた
日本人は祓の好きな民族である
神仏に祈るには、「行」が必要か
念仏も、たくさんとなえればそれだけご利益があるのか
宗教界を揺るがした念仏論争
呪術と宗教の違いは、それを信じる人間の態度できまる
呪術は、神仏を道具としている
宗教が堕落すると、呪術がはやる
ご利益信仰は、宗教の入口
ご利益信仰は、「方便」である
ご利益の全面否定は、祈りの否定になる
祈りが強いほど、神仏と心が通う
(二) 現代人に祈りは必要ないか
感動する心を失った現代人
意味を失ってきた宗教的行事
宗教ブームに真の「祈り」はない
(三) 真の祈りとは何か
どんなとき一心に祈れるか
一時的な祈りでは、ご利益は得られない
真の祈りは、形からはいって形を超えるところに開かれる
畏れを知る人間こそ、真の強者になれる
本書は一九七四年、ごま書房より刊行された 『ご利益さま』を再編集して復刊しました。