新刊

「幸せな90歳」を迎えるために家族に知って欲しいこと

1000人の最期を診た救急医が考える

なぜ日本は年をとるほど不幸になるのか!? 家族が後悔しない 高齢者が喜ぶ「終わりよし」のカギとは? 

著者 諸岡 真道
ジャンル 実用・趣味
シリーズ くらし・子育て・老後
出版年月日 2022/11/29
ISBN 9784341088194
判型・ページ数 4-6・208ページ
定価 本体1,300円+税

はじめに

 東京のど真ん中にある大病院の救急救命センターで、僕は3年間救急医として働き、現在は友人と渋谷区笹塚に訪問診療とオンライン診療を手がけるクリニックを開業し、訪問診療を中心に医師として活動しています。
 救急医の仕事は救急車で運ばれてきたすべての患者さんに対し、初期治療と集中治療を行うことです。ドラマでは命の瀬戸際にある比較的若い患者さんがどんどん搬送されてくるのを懸命に治療して……というシーンを見かけますが、実際にはそういったケースは非常にまれです。
 救急搬送されてくる患者さんのうち45.6%は緊急性の低い軽症、44.6%は中等症の患者さんであり、8.7%は重症患者ですが(※2020年実績)、その中には、寿命なのか病気なのか、判断のつきにくい患者さんも多く、治療の末に病院で亡くなる患者さんも多くいます。僕が救急医として勤務した3年間のうち、2年間は、重症コロナ患者さんの治療が大半でした。
 現在取り組んでいる訪問診療は、体力低下や体調不良により、これまで通っていた病院に通院することが難しくなった患者さんの自宅に訪問し、診察と看取りを行う仕事です。どちらにも共通するのは、関わる部署が多く、緊急対応と調整業務を行うことと、社会で一番困っている人達が訴える苦痛に対応することです。

 医療技術がはなはだしく進歩した現代において、医者の仕事は病気の治療にとどまりません。「お金がない」「家族がいない」「家がない」「行き場所がない」「ご家族から、こっちが限界なので、もうこんな人の面倒をみられないと言われた」等々の声に対応することも医師に求められています。
 社会保障制度の範囲内で、時には生活保護申請の依頼を指示することがあります。また、地域の虐待認定のヵンファレンスに参加し『患者さん』・『患者さんのご家族』・『医療福祉従事者』さらに災害時には『地域』という多様な関係者の最大幸福を実現できる方法を短時間で模索・検討し、実行と指示をするのも、現代の医師の仕事です。
 そういった仕事の中には患者さん・ご家族・医療ケアチームで患者さんの限界を話し合い、さまざまな判断を下すことも含まれます。
 そんな現場で働く日々の中で僕は日本には患者さんとご家族に二つの大きな問題があることに気づきました。

 一つ目の問題は人生の最終段階(終末期)において、悲惨な状態に陥っている患者さんやご家族がとても多いことです。

 ちなみに、人生の最終段階とは、なんらかの疾患等により適切な治療やケアを施しても、一定の期間内に死にいたると医師が診断する時期であり、患者さんやご家族の価値観に沿ってケースごとに判断されます。
 具体的には予後数日から長くても2〜3ヶ月と予測できるがん末期、慢性疾患の急性憎悪をくり返し予後不良に陥る場合、脳血管疾患の後遺症や老衰など数ヶ月から数年にかけて死を迎える場合があけられます。
 苦しんでいるのは患者さんだけではありません。
 寄り添うご家族が患者さん以上に苦悩しているケースを僕は数多く見てきました。
 高齢化が進んだ多死社会にもかかわらず、最期の過ごし方について語り合うことを多くの日本人が避けているため、生の終焉において様々な問題が発生しています。
 救急搬送されてくる人生最終段階の患者さんには、ひどい苦痛に苛まれていたり、衛生状態を保てていなかったりする人が少なくありません。
 面倒を見ているご家族がいる場合も、重い疾患や心身の障害を抱える高齢者とどう接すればいいのかわからず、適切なケアを提供できないのです。
 低体温による意識不明状態で発見され、ご家族の通報により搬送されてきた高齢女性。
 何日分ともしれない糞便にまみれていた認知症の患者さん。
 末期がんで寝たきり状態なのに、一人暮らしをしていた患者さん等々。
 ご家族の希望により、苦痛を長引かせるだけの延命治療を施されてしまう人もいます。ただ辛い思いをさせるだけとわかっていても、患者さんのご家族が望めば、医師は命を延ばすだけの治療をしなければならないのが今の医療です。
 そういった悲惨な状態に陥ってしまうのは、多くの人が人生の最終段階について知識を持たず、必要な準備をしていないためです。

 あなたは自分にとって大切な人が管につながれ、ベルトでベッドに縛りつけられた状態で死んでいくことを受け入れられますか?
 人の考えはもちろん多様です。最期について話したくない人、そんな心の余裕はないと感じている人、話す必要などないと考えている人、話したいのにきっかけを見つけられない人・・・・・・。
 でももし、大切な人が尊厳を奪われ、苦痛に苛まれながら死んでいくのは受け入れがたいと思うならぜひとも、死についてご家族と話し合う機会を作って下さい。

 僕にとって高齢者-特に人生の最終段階に近い年齢にさしかかった人の悲惨な状況は他人事ではありません。
 子供のころから可愛がってくれた祖父が今年90歳になりました。ずっと近くに住んでいて、悪戯をしたら叱り、浪人時代にはずいぶん心配してくれた家族です。
 国家試験に合格して医師になった時から、そんな彼を幸福にすることを僕は自分の課題にしてきました。
 幸いなことに、祖父はまだ年齢の割にはかなり健やかです。簡単な仕事をしており、自転車にも乗れます。食事も残さず食べるほど食欲も旺盛です。
 そんな祖父の日々をどうやって幸福度の高いものにするか、僕なりにいろいろと考えて取り組んでいます。
 正直に告白するなら、僕自身、祖父に対してまだ十分なケアができていません。
 でも、だからこそ医師としての知識や技術を駆使するのはもちろん、祖父が少しでも毎日を楽しめるよう、孫としてできることを探しています。そんな僕にとって、超高齢者が置かれている状況はまさに「自分の問題」なのです。

 もう一つ、僕が大きな問題だと感じているのは、医療.福祉制度そのものの危機です。
 国民皆保険制度をはじめとする医療システムの充実により、高レベルの医療を誰でも受けられることは日本で暮らすことの大きな利点と言えます。また、2000年に施行された介護保険制度等により、多くの方が費用負担を抑えて必要なケアを受けられるようになりました。
 安心して老後を迎えられる仕組みが国内には整備されていたのです。
 ところが、その仕組みは今、急激な高齢化により危機に瀕しています。多くの人が改善を意識して仕組み作りにいそしんでいることで、一時に比べればよくなっている面もありますが、あまりに急ピッチで進む高齢化に追いつけていません。

 メディアが語る医療のピンチは新型コロナウイルス感染症による医療資源のひっ迫が大きな原因だと思われがちですが、それはあくまで事態の悪化を早めた要因の一つにすぎません。 日本の医療はずいぶん以前から人手とお金が足りない状態に陥っていました。そぅしてさらに悪いことに、状況はどんどん悪化するばかりで、改善する見込みはまったく立っていないのです。
 僕の周りにいる勤務医を見ても、毎月120時間オーバーの超過勤務は当たり前。夜勤を終えた後、休みなしに常勤に入り、24時間以上連続して働くことも少なくありません。
 その分給料が高いだろうという声もあるかと思いますが、大学病院の給料は残業時間を申請することもできないため、平均で30万円程度、中には無給に近い病院もあります。その分をバイトで補うというのが、医者の生活です。
 福祉の現場も同じです。ひどいハードワークを課されているにもかかわらず、報酬面ではまったく報われず、利用者は増える一方のため、慢性的な人手不足が続いています。空室はあっても入居者を制限しなければならない施設が増えているのは、介護士等の人員を確保できないためです。

 人生の最終段階を迎えた患者さんの悲惨な状況と医療・福祉資源のひっ迫— 一件見関係がなさそうに見える二つの問題は実は密接につながっています。
 詳しくは本書の中で解説しますが、日本ではこれまで、人生の最終段階を迎えた患者さんに延命治療を施すことで、大量の医療・福祉資源が浪費されてきました。そのことにより、医療や福祉があちこちでほころび始めており、本当に必要とする人たちを治療したり支援したりすることが難しくなっているのです。

 それではいったい、どうすればいいのでしょう?

 解決策を考える前にまず、あまりやってはいけないとされる「犯人探し」をしてみましょう。この現状を作り出したのは誰でしょうか?
 政治家ですか? 厚労省、内閣府ですか?それとも医療者 シニアポピュリズム(投票率が高い高齢者のニーズ実現に政策が偏ること)というしばしば言葉を耳にするので、高齢者の方々ですか?

 答えはシンプルです。僕たち日本人全員ですよね?

 少なくとも、医療や福祉の主な対象である超高齢者ではありません。強いて言うならば、超高齢者を弱者として扱う- 扱わざるを得ない、僕たち若者と中高年が主体となって営んでいる社会こそが主犯だと僕は考えます。

 死を本当に直前にした超高齢の患者さんが「死にたくない」「生き続けたい」という姿を僕はみたことがありません。

 彼らが口にするのはたいてい、「若い人に迷惑をかけて申し訳ない」「やりたいことなんてない」「この年だけど、色んな国に行ったし後悔はない」「生きてるんだか、死んでるんだかわからない」「国の迷惑になりたくない」「もう年だししょうがないよね」「後悔なんてない」 といった思いです。
 彼らは生まれは違えど、それぞれが選択してきた人生を生きて、最期はそれぞれの形で死を受容します。これらは高齢者に限ったことではありません。コロナ禍で看取った患者さんや、在宅で看取った癌患者さんとご家族も僕らが驚く早さで、それぞれの形でそれぞれの方法で死という現実を受容しました。
 その一方、死が差し迫っていない人たちや身近に意識せずにいられる人たちは死について語ることを忌避しがちです。本当はもう最期に向けて準備し、話し合わなければいけない高齢の家族がいるにも関わらず、忙しさなどを理由に語り合うことを避けている人は少なくありません。
 その結果、「とりあえず生きていたい人たち」とする架空の高齢者像を創り出し、虐待とも言える医療を行う社会がなんとなく築かれてきたのです。
 そんな高齢者が幸せになりにくい社会を作った犯人が僕たちであるであることがわかった今、犯人である私たちがまず取り組まなければならないのは死に対する認識の見直しです。「人はみないつかは最期の時を迎える。高齢者や重い病気を持っている人はそれまでの時間が限られている」という事実を理解するだけでなく、受け入れて準備をすることがとても大切です(※最期について「考えたくない」や「考えることをやめた」という判断も見直しに含まれ、そういった人達に強要することは絶対にいけません)
 患者さんやご家族が死と向き合い、きちんと受容するなら、医療や福祉はただ生かすのではなく、生活の質に重きを置いた治療や支援を提供できます。
 人生の最終段階を迎えた人たちの状況は大きく改善され、日々の幸福度は間違いなく向上します。ご家族の側も両親や祖父母の幸福を意識しながら寄り添うことで、苦痛を長引かせるだけの患者さんが望まない延命を希望するケースが少なくなります。
 死を間近に迎えた人やご家族の幸福度を高めると同時に、崩壊の危機に瀕している医療や福祉を守れるのです。
 そのためには具体的にどんなことを考え、なにをすればいいのか、本書では詳しく解説していきます。僕自身が祖父のために実践していることややってみたいこと、やる価値が大きいと思っていることなども含め、できるだけわかりやすく説明するつもりです。
 本書を読めば、終末期のご家族を幸せにする方法や考え方、自身が條末期を迎える前に知っておくべきことや必要な準備などについて、知るきっかけになるはずです。

 ほとんどの人が人生の最終段階には、心身のトラブルを抱えます。できることが減り、死が間近に意識されるょうになるのも、この時期の特徴です。

 本書をきっかけに、社会全体で患者さんを支える仕組み作りが少しでも進むよう願ってやみません。さらには、僕にとっては自身の成長につながり、比較的健康ではあるものの決して元気とはいえない祖父が日々の暮らしに幸福を感じるきっかけになってくれれば、と希望しています。

   2022年10月     
   諸岡真道

♦著者略歴

諸岡真道(もろおかまさみち)

1988年埼玉県さいたま市生まれ。医師。あさがおクリニック副院長
2016年昭和大学医学部卒業。昭和大学病院で初期研修終了後、半年間の海外旅行・ボランティアを経験。
その後、日本赤十字社医療センター救命センターで3年間勤務し、倫理コンサルテーションチームの立ち上げに関わる。
現在は東京都渋谷区あさがおクリニックで訪問診療、地域医療に注力している。

はじめに

序章 祖父の半生

♦90年はあっという間 今も健康に暮らす僕の祖父
♦祖父の生家は半農半商 家を切り盛りしていた物静かな母
♦近所の屋根に零戦 断片しか覚えていない戦争
♦旅行気分も? 高校卒業後は野菜種の行商
♦従姉と結婚して薬局経営 「働くのが楽しかった」日々
♦ピンチもあった60年を超えて 「お爺ちゃんに会いたい」
♦今の希望は家族との時間と相続

第1章 日本の高齢者は幸福度が低い

♦どんどん増える「幸せになりにくい高齢者たち」
♦年をとるほど不幸せになる国:日本
♦「幸せ」と感じるための条件は3つ
♦環境~先細る老後資金の不安
♦環境~テレビを見ているだけの生活
♦環境~住み慣れた自宅を離れ行動を制限される日々
♦健康~できないことが増えていく
♦健康~増える病気とそれに伴う苦痛
♦健康~2人の1人が発症! ご家族に大きな負担をかけてしまう認知症
♦健康~ヤングケアラ—や老老介護、介護離職
♦健康~患者本人が望まない延命で長引く苦痛
♦健康~患者さんの希望しない延命措置が施されている
♦関係性~ご家族や地域との絆を失い「ひとりぼっち」に

第2章 医療は誰を救うべきか?
高齢化が進むのに医療は問題だらけ

♦高齢化が進む日本の救急医療はコロナ前からパンク状態
♦助けるべきは誰なのか?どのよぅに助けるべきか?
医療者が抱える問題をみんなで考えたい
♦タクシー代わりや軽症者の救急要請を拒否できない
♦送り先が見つからない~救急医療を追い詰める「出口」問題
♦24時間連続勤務は当たり前 苛酷な医師の勤務状況
♦看護師不足は慢性的かつ致命的
♦質を保つ時間やモチベ—ションがない
♦アクセスの良さが生む問題
♦コロナ禍が露わにした「人生の最終段階」への供給不足
♦年間1000万円超えも 高額の薬をあらゆる人に投与は正しいのか?
♦世界の医療は不公平

コラム 僕が見てきた世界のリアル

第3章 自分らしくどう生き抜くか

♦治る可能性が低い重症コロナ患者に人工呼吸器を使うべきか?
♦老人ホームでケ—キNG お酒NGなのはなぜか?
♦高齢者と家族では最期の考え方に大きな乖離がある
♦死は善でも悪でもない
♦もし死期が近いとしたらなにを不安に思うのか?
♦大事なのは終わりの時が来ることを受け入れ冷静に準備できる心の状態
♦ご家族と最期の生き方を語り情報共有する
♦「あなたのお母さんならどうしますか?」と医師に尋ねてみる
♦カリキュラムにない死生観 医師は自力で培う工夫を
♦患者さんも医師もベテランの看護師さんにうまく頼りたい
♦死の受容は生の充実によって実現できる
♦「してあげたかったこと」が少ないとご家族も受け入れやすい
♦知っておきたい認知症と拘束の話
♦守るべきは自分らしさ

コラム ご家族が死を受け入れた「侍」の最期

第4章 家族と一緒に「終わりよし」を準備する

♦やり残したこと やってあげたかったことを減らしていこう
♦国が推奨するACPをやっておこう
♦ ACPは何度もやり直そう
♦医療者や家族と共同で適切なACPの実現を目指そう
♦辛い情報を患者さん・ご家族・医療者が共有して最適解を導き出そう
♦カードゲームで気づきと情報共有を! 「もしバナゲーム」をやってみよう
♦理想の最終段階はチームで実現しよう
♦本当に価値がある「積極的で楽しいACP」をやってみよう
♦「特にない」はあきらめの裏返し
♦家族との絆を結び直そう
♦考えてみよう! コロナ禍の中で旅行なんてもってのほか?

第5章 つながリと安心を社会で作っていく

♦社会的処方としての多世代の絆
♦高齢者と地域社会との結びつきを再構築する
♦高齢者にもうI度役割を担ってもらう
♦多くの人が望む「自宅での最期」の理想と現実
♦「自宅での最期Jを実現するカギは訪問診療とお金、家族
♦もしもの時も24時間対応人生の最終段階を安心して自宅で
♦もっと積極的に利用してほしい地域包括支援センター

おわりに

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