新刊

ソニ-AI技術井深大とホンダジェット本田宗一郎の遺訓

戦後の技術立国日本のレジェンド

先端技術が失われた40年、 どん底から復活せよ

著者 豊島 文雄
ジャンル ビジネス
シリーズ 自己啓発(ビジネス)
出版年月日 2023/12/08
ISBN 9784341088491
判型・ページ数 4-6・240ページ
定価 本体1,400円+税

 

はじめに

 2023年4月13日号の週刊文春にこんなスクープ記事が掲載された。
 タイトルは「ソニー井深大、AI、自動運転を予言した62年前の音声発掘」
 記事の冒頭には、ソニー創業者・井深大の肉声の文字起こしを読んだ日本のAI研究の第1人者である東京大学大学院・松尾豊教授のコメントがある。
「すごい、の一言ですね。まさに未来を正確に読んでいる。今の人工知能の状況がほとんどそのまま当てはまる気がします。すごい、すごいと聞いたことはありましたが、こんなに、こんなすごい方だったんだ、という衝撃をうけました」

 この詳細については「第1章」で紹介することにする。

 世界に先駆けてトランジスタの量産を可能にして「世界のSONY」を誕生させ、日本の電子立国をもたらした、戦後日本を代表する天才技術者、その人物こそソニー創業者の井深大である。
 その井深が60数年前、「半導体の次はAI技術の応用分野に日本が先行すれば、21世紀に再び日本が豊かになる」との遺訓を残していたのだ。
 ソニーに在籍した人間である筆者は、「ソニーの創業者井深大ってスゴイ人だ!」と 感動を新たにした。この感動が本書執筆の原点といえる。

 そして今一人、戦後日本を代表する天才経営者がいる。世界のHONDAを創った人物本田宗一郎である。

 井深大と本田宗一郎が初めて出会ったのは1958年(昭和33)、ソニーがトランジ スタラジオの第2弾 (TR-63型)が世界的に大ヒットさせ、会社名も「ソニー」に変更したころであった。既に本田宗一郎も本社を浜松から東京に移した後の頃であった。 2年後にはオートバイの生産数で世界一を達成している。
 オートバイメーカー本田技研工業株式会社の社長・本田宗一郎が自動車のエンジンの機械Aタイミングで点火する火花を安定させるため、トランジスタを使って制御できないかと、ソニーの本社を訪ねた。井深社長に直接検討依頼を求めた。

 エンジン技術に熟知した本田宗一郎からの「トランジスタで制御できないか」と予想もしなかった応用新分野の検討依頼であった。これがきっかけとなって井深に「メカの塊り」であった当時の自動車の制御に半導体技術を応用する未来を発想させた。
 本田のアィデアを基に、次世代のソニー新市場開拓分野の究極の未来を関係者に伝える「1960年からのソニー創業者のAIへの思い」の4分間の動画で示す世界を井深は60数年前に描き切ったのである。

 この時のことを本田宗一郎は「井深の兄貴が、俺のヒラメキの話をえらく感心して聞いてくれて嬉しかった」と語っている。これをきっかけに二人は生涯の大親友となり 「私の人生は何倍も豊かになった」と井深は語っている。(井深大著『わが友本田宗一郎』 より/ごま書房1991年刊)
 井深が自動運転車を語った翌年の1961年、本田宗一郎は社内報で4輪車と経飛行機分野に進出することを表明する。本田は60数年前に21世紀に向けたホンダジェット新分野進出への布石を実行した、これまた「スゴイ人」だった。
 1962年2月には、4輪車と軽飛行機分野に進出するため、この2つの職種の設計技術者の人材募 集を新聞広告に打った。そうして同年4月、東北大学や束京大学で航空工学を専攻する卒業生らを1年限りで入社させている。

 この時期に航空機設計の職種で入社した人物たちが、後に、本田技研工業の第4代と第5代の社長と なり、入社時の思いを忘れず、ビジネスジェット機の開発チームを発足させたのであった。

 それから53年もの時を経て、2015年12月、ホンダジェットが米連邦航空局(FAA) の型式証明を得て北米から販売を開始。以後の日本、欧州から、世界に販路を広げ小型ビジネスジェットの世界シェアNO1の地位を維持している。この生みの親こそ、元をただせば本田宗一郎なのだ。

 この二人のレジェントの軌跡をたどると、筆者はあらためてこう思う。
 「政府の補助金政策に頼ることなく、規制を乗り越え、新たなることに絶えず挑戦し続けた井深大と本田宗一郎。かっての自動車大国の次世代をささえるホンダの航空機分野への希望、かっては半導体技術で先行した電子立国の次なるAI技術を応用した医療機器や自動運転分野への希望」
 「戦後80年、40年周期に当たる2025年のパラダイムシフトによって、日本が再び世界に貢献する国家となることができる」
 これらは、井深大と本田宗-郎からの遺訓である。

 チヤットGPTなどによれば、井深と同じ近代日本の40年周期説を唱える人物には、企業家・稲盛和夫氏、作家・藤原作弥氏、半藤一利氏、学者・島田晴雄氏、歴史家・加来耕三氏とそうそぅたる著名人がいる。

 それぞれの40年周期論によれば、1985年に繁栄のピークを達成し、以後転落し続け、2025にどん底となる。そこから全く新しいパラダィイシフトが始まり上昇に転ずる。「貧」と「富」が40年ごとに入れ替わる説も語られている。

 事実、1985年日本は一人当たりのGDPでは先進国の中でアメリカに次ぐ2位を占め、全世界GDP総額の12%をも占める世界2位の経済大国であった。
 その後、一人当たりGDPの国別ランキングは「アベノミックス・異次元金融緩和が始まる前の2012年には、日本は先進国の中で第13位だった。いまは(2022年)第27位だから、この10年間で大きく順位を落としたことになる」と野口悠紀雄はその著 書『プア・ジャパン気がつけば貧困大国』(2023年朝日新聞出版刊)で語っている。

 井深自身も、近代日本を襲った「40年周期のパラダィムシフト」について次のように語っている。
 「近代日本は1865年朝廷が幕府の開国に勅許を与え国論が開国へ一致した年に始まり、1905年日露戦争勝利によって一流国への仲間入りを達成、しかし1945年敗戦。日本の主要都市が焼け野原となって極貧国となるも民主主義国家として再出発した 年。1985年経済、技術とも世界一の競争力を持つ豊かな国を達成。そして「失われた数十年」を経て現在に至っている。

 歴史的にみると、国が豊かになるか貧困が継続するかは、時のリーダーに人徳と民主主義擁護の信念が備わっているかによって決まるという。人徳とは国家における国民、会社や組織における社員など、この人ならば一緒に頑張ってついて行けるという、品性が備わっている人をいう。

 2025年以降、AI技術を応用したチャットGPTや医療ロボットやドローン、新 兵器への応用など、ありとあらゆる応用分野にAI技術のパラダィムシフトが今後40年 続くであろうと各国で認識されている。
 2025年には、ソニーとホンダの合弁会社であるソニーホンダモビリティからAI 技術搭載の電気自動車「アフィーラ」が登場し、各種AI技術応用分野の新たなパラダイムシフトがなされる40年間を迎えようとしている。日本の命運は、この分野で先端を走れるチャンスをものにできるかにかかっている。

2023年10月

          豊島文雄

著者略歴
豊島文雄(てしまふみお)

 著者については、勝美明著『ソニーの遺伝子』 (2003年日経ビジネス人文庫)のなかで、平面ブラウン管(ベガ)のキックオフの際の登場人物として 「豊島はソニーの多くの経営幹部に“懐刀”的に仕えてきた市場分析のプロだ」と紹介されている。
 早稲田大学理工学研究科修士課程卒、1973年 ソニー(株)入社。
 ウオークマン発売6年前のテープレコーダ部署に配属。その後、カメラ&ビデオ事業部等を歴任。

 1986年ソニーの幹部クラスの直属スタッフ・企画業務室長を務めながら1998年主席(マネジメン卜研究分野の部長級専門職)、2002年ソニー中村研究所(株)設立時取締役。
 2007年、井深大の経営手法と人生哲学を啓蒙する「(株)1-10-100経営」を起業。ソニー現役時代を含め延べ6000名を研修した実績がある。
 2020年(令和2)年、井深大の経営手法や人生哲学を伝える著書『井深大の箴言J (ごま書房新社刊)を出版する。

はじめに

第1章 21世紀のAI技術
パラダイムシフトを遺訓したスゴイ人・井深大

1 週刊文春スクープ「発掘!ソニ—井深大『幻の講義』」
2 2020年5月
「1960年からのソニー創業者のAIへの思い」を公開
3 ソニ—ホンダモビリティから、
2025年AI搭載自動運転車を販売開始

第2章 井深にAI技術を発想させた宗一郎は
航空機を布石したスゴイ人だった

1 自動車の制御にAI技術が使えると井深に気付かせた宗一郎
2 1962年の宗一郎の航空機ビジネスのへの布石が
21世紀のホンダジェットのル—ツ

第3章 近代日本の1965年から2025年までの
40年周期のパラダイムシフト

1 近代日本を襲った40年周期のバラダイムシフト
2 政府指導の日米半導体協定が日本の先端技術を失なう40年を招いた
3 2025年のパラダイムシフトへの希望
4 井深83歳、ソニー幹部に語ったパラダイムシフト論

第4章 井深大と本田宗一郎、似た者同士の系譜

1 肉親から「心」を鍛えられた幼年期
2 社会に出た最初の上司が二人に挑戦し続ける生き方を鍛えた
3 第2次世界大戦直前の混乱期に「量から員」への
新しい業態に転身した宗一郎と井深

第5章 敗戦というパラダイムシフトに際して、
井深、宗一郎の日本再建という『公』の使命感

1 増税地獄。戦後のハイパIインフレの中、
金融緊急措置令と日銀券預入令によって、
経済的どん底に見舞われた井深と宗一郎の対応
2 戦後6か月、政府による増税地獄と物価高。
敗戦というパラダイムシフトに際して、
日本再建といぅ『公』の使命感の自覚に立った新しい業態の会社を創業
3 米国企業が一社も成功していない課題に挑戦して世界企業に躍進する
4 トップの座を60歳半ばで後進に譲って早期引退した井深と宗一郎

第6章 井深は米国で2つの"北極星"を見つける
-ポケッタブルラジオとステレオ音響

高学歴技術者に録音機の次に取り組む仕事を与える早急の課題
終戦7年目でのアメリ力での体験
シカゴのオ—ディオフェアで生まれて初めてのステレオ体験をして感動
新発明のトランジスタを使って
ポケッタブルラジオの新市場の構想を得る大成果
日本にステレオ音響の素晴らしい、“北極星”を持ち込んで元祖となる
WE社とのトランジスタ特許使用の仮契約成立
トランジスタ特許権購入時の外貨使用許可を巡る通産省との攻防
半導体へのパラダイ厶シフトの先頭に立った日本の電子立国
トランジスタ開発責任者の岩間和夫の活躍
真空管ラジオの部品メ—カーを巻き込んで極小部品開発を依頼
世界初の栄冠をアメリカ企業に8力月差で取られた無念
世界初の短波との2バンド、続いて世界初のFMとの2バンドへ商品を拡充
シリコンを使った世界初のテレビ用トランジスタの開発
失敗から生まれたトリニトロンが世界の家庭のライフスタイルを変えた
電子立国を日本にもたらした「1・10・100の法則」
日本初、世界初を連発する新製品開発手法FCAPS

第7章 生涯を通して実践した社会貢献

1 51歳・1959年/小学校に理科教育振興資金の供与を始める
2 54歳・1962年/心身障碍者施設運営のすぎな会を立ち上げる
3 61歳・1969年/幼児開発協会を設立
4 65歳・1973年/鹿沼市に心身障碍者施設「希望の家」を立ち上げる
5 67〜71歳・1975〜79年/身障者雇用促進法に基づく特例子会社「ソニー・太陽」完成
6 70歳・1978年/ウオ—クマンの原型を発案
7 76歳・1984年/増税なき財政再建を目指す土光臨調を応援
8 80歳・1988年/JRスイカ誕生の仲介
9 81歳・1989年/東洋医学・ソニー脈診研究所所長となる

第8章 エピロ—グ

1 再婚により安息の家庭を得る.
2 大事な人に先立たれる
3 井深の人生哲学
4 井深の死

あとがき

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