過去を変えた男 異色の経営者 久米信廣

高校生活4年、さらに大学生活8年!

29歳で会社を起業した目的は、「社会貢献」と「国際貢献」

著者 篠原 勲
ジャンル ビジネス
シリーズ 経営(ビジネス)
出版年月日 2018/11/13
ISBN 9784341087142
判型・ページ数 4-6・236ページ
定価 本体1,300円+税

 以前から著者は、久米がどういう経緯で「300年後の子どもたちのために」とか「世界平和のために」とか言い出し、それに向けて何十年も活動を続けてきたのか興味を持っていた。
 それに何故、中小企業の経営者が折角の利益を犠牲にしてまで最優先で社会貢献に尽くすのかよく理解できなかった。(中略)

 現代の経営学では、「経営とは利益を上げることが目的」とされ、「ヒト、モノ、カネ、情報」を経営資源として挙げている。久米はこの考え方を真っ向から否定する。
 第三企画の経営は「社会への貢献」「社員への分配」「持続的」の3点を目的とし、「ヒト」は経営資源ではなく、「人間」として尊重されるべき存在だとの理念を揚げている。「終身雇用」を守り通すとの信念は全く揺るがない。
(まえがき/より)



【著者】
篠原 勲(しのはら いさお) 元・東洋経済新報社取締役 『会社四季報』元編集長

1942年、東京新宿生まれ。
現在、企業文化研究所理事長。NPO法人OSI研究会理事長。
明治大学政治経済学部卒業。東洋経済新報社入社、会社部長、『会社四季報』編集長、『オ-ル投資』編集長、『週刊東洋経済』論説委員、編集局次長、取締役営業局長・取締役広告局長を経て、立正大学講師、公立鳥取環境大学教授、清松コンサルタント(株)日本代表(本社・ベトナム)など歴任。


久米信廣(くめ のぶひろ)

1951年1月、徳島県石井町生まれ。
現在、第三企画株式会社代表取締役。NPO法人RBAインタ-ナショナル理事長。日本不動産野球連盟事務局長。
1978年日本大学藝術学部卒業。80年第三企画株式会社創業、代表取締役。89年日本不動産野球連盟創設、RBA野球大会主催。任意団体として社会貢献活動「RBA」スタ-ト。2000年NPO法人RBAインタ-ナショナルを設立、理事長。06年明治大学大学院政治経済学研究科博士後期課程修了、経済学博士。17年「RBAプラザ阿波おどり館」(東京都杉並区高円寺)開設。

第1章 明日への架け橋
国際交流を求め単身で豪州へ
脳髄が破裂、九死に一生を得て
何故RBAIが中国と交流をするのか
RBAは自分を変革すること
心に響いた「雨ニモマケズ」
「日豪中伝統舞踊交流会」の意味
ゾマホン・ルフィンさんとの約束
日中韓生け花藝術交流会開催
高円寺の阿波踊りに出演

第2章 カゴの中の鳥
「僕が世界の指導者になる」と決意
ベ-ト-ベンからビ-トルズへ
公害問題とベトナム戦争に嫌悪感
音楽よりも映画監督を目指す
宝石泥棒を疑われ警察に
教えることをしない「学修塾」を始める

第3章 母の愛、父のビンタ
親孝行は人間ができる唯一の美徳
泣き虫が何故積極的な子になったか
母が買ってくれた一枚のレコ-ド
毅然とした母の後ろ姿を追う
「玄関の靴事件」の思い出
高校4年、大学8年

第4章 燃えて経営 人間関係業
激戦地の不動産広告へ参入
「バタフライ効果」を信じて
正直者がバカを見ない世の中の建設
第三企画は「人間関係業」
第三企画に負けはない
「士魂商道」をまっしぐら
C型肝炎との闘い
第三企画の原動力となってきたもの
「百瀬久米」の名をいただく
久米流の終身雇用制度
「四徹」と「第三ワ-ルド」

第5章 一人で生きられないから
破滅に向かい激走する世界
日本次第で世界がおかしくなる
恒久的世界平和の実現に向けて
「人類へ貢献競争をすべき」と主張
オ-ストラリアから始まった国際交流
日本不動産野球連盟(RBA)とは

第6章 世界の過去を変える
日中両国政府の交流が途絶える中で
北京大学附属小学校にて
清華大学付属小学校いて
「恩に報いる」ということは結果を残すこと
表敬訪問とサプライズ

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